子供たちを見送ってから、再度、寝る。
その際にリアルな夢をみた。
主治医のクリニックに行って、自分の順番になったので入室したら
10人ほどの人たちが。
専門家&DV問題に慣れた警察官といった構成で、
いつのまにやら私の横には娘まで。
ダンナの親の介護のさいに、足腰も立たないのに
いつもどおりに目を洗って薬をさしたいと、要求する父親に
怒鳴りつけながらダンナが洗面器を投げた話やら、
米をといで炊飯器の予約をセットしようとした母親が
うっかりそのまま炊飯ボタンを押してしまい、
パニックになっているのにたいし、
「ご飯なんか今炊けようが明日だろうがたいしたことじゃないだろう」
と怒鳴りながら腰の辺りを数度、叩いたことを話した。
(この二つは現実に起きたこと)
がやがやとどう目の前にいる親子を救助するかと言う話しをする中で
穏やかな顔をした中年男性が
「それにたいして、あなたの支払いは終わっていないんですね」
これは世間の人には分かりにくい表現だと思うけれど
子どもが殴られているとき、ダンナの両親が暴力をふるわれているとき
私は止めに入ったり、手を上げるまでのことではなく口で言えば分かることと
ダンナに忠告できたことが無い。
私が彼らにするはずだったことが出来ていないことを支払いが終わっていないと
アダルトチルドレンの世界で表現した気がする。
(私の前の主治医は「お母さんはあなたに借金がある」といった)
目が覚めた後、そのことについて考えていた。
紙についた折ぐせのように、物事の本質を解決するよりも
とりあえず、この場を丸く治めようとする癖。
子どもだった時代にはそれくらいしかできなかったけど
大人になった今はもっと、対応できる力があるはずなのに。
生き方として体にも心にもしみついている。
いくらしみこんでいようと変えていかないと同じ事の繰り返し。
心の傷をひとつひとつ見つめて
おっ、ここの傷の下に膿が溜まっているから出さなくては
という辛い作業をまたやるのかと、うんざりするけどしないことには変われない。
気になるのはダンナ母が叩かれているときには、
ダンナ姉もいたのに、止めさせようと声をかけることはなく
後で「暴力をふるっちゃいけ無いのに、男は使うからねー」
と、私に言っていた。
止めたいと思うのにフリーズしてしまい、
自分のふがいなさに後悔する私から見ると
暴力に対して異様に寛大に思え、彼らはどんな家庭で育ったんだ?と、思う。
問題があったとしたら、それは私の知らない時代のことなので
ダンナが気づいて変わろうとしない限りは、
父親といえど子どもにとって安全な存在ではない。